【募集中】宮本敬吾奨学金 4/30〆切

 

 

●なにをやるのか?

毎月 [1万 ] 円を、 [3〜6] 人に1年間給付します。

 

●自己紹介

宮本 敬吾(Miyamoto Keigo)

株式会社オサマル 代表取締役

1984年兵庫県産まれ
二級建築施工管理技士

#親の影響で起業決意 #社交性がないから高校デビュー #独創性がないから美大へ進学 #独創的なアイデアは浮かばず #視野を広げ競争心を養うべく中国へ #中国でたこ焼き店開業 #好きで得意な事でないと辛い時に粘れない #モノづくりを極める #2021年大阪大学とリペア職人研修を共同開発 #日本一のリペア職人育成環境を整備 #成長率平均167%

 

 
●なぜやるのか?

もっとワガママに生きてほしい

奨学金をやるにあたって浮かんだのは、夢を諦めてほしくないという気持ち。

好きで得意なことを仕事にするってめちゃくちゃ幸せで、オンとオフのあるような生活って自分にとってはあまり理想的じゃない。

家族を養うために苦手なことを仕事にしてる同級生がたくさんいて、そういう人の愚痴を聞くと辛くて、やるせない気持ちになる。聞いていられない。

いま会社を経営していて、新卒採用とかで若者と関わる中でも、就活で「自分を失うような喪失感」を持っている人が多い。

もっと長所を生かして生きていくとか、自分にもっとワガママになって生きてもいいんじゃないかなと思うことが よくある。

自分は幸いにも27歳で天職を見つけて、それを極めることで理想の人生を手に入れつつある。

 

でもそれができたのは親の援助があったから。親の面倒を見なくていいし、奨学金を借りる必要もなかった。月に10万円とかお小遣いをもらっていることもあったし、車も買ってもらった。

この環境がいいとは思わないけど、それによって自分は、自分に対してワガママになれた。もし家族が支えてくれていなかったら、自分は もっと保守的に人生を選択していたと思う。

この奨学金も同じように自分の信じた道を全力で進むためのお守りみたいな感じになればいいなと思っている。

たいした金額じゃないけど、完全にゼロになるわけじゃない、みたいな。

 

 

あとは 自分という生き方を知ってもらいたいのも理由の1つかもしれない。

自分は 道なき道を切り開いて、結構不安だったり、嫉妬だったり、もどかしかったり、つらい時期が多かった。

それでも、諦めなければ夢は叶う。
自分みたいな めちゃくちゃワガママな生き方をしても、本気で歩み続けたら近づく、ということを知ってほしい。

 

あと、欲を言えば、「リペア職人」という生き方があることも。

 

●どんな人生を歩んできたのか

人生は、自分育成ゲーム

人生は「自分育成ゲーム」だと思って生きてきた。

きっかけは父親の暴力。小さい頃はよく骨折をしていた(させられていた)し、覚えていない大きなキズ跡もある。

家族はメチャクチャで、中学生の自分は「父親を殺して、自分も死のう」と思っていた。

 

でも その勇気すらなくて、結局何もできなくて。

だからせめて出来ることを、と思って、自分は 自分を一回死んだことにした。この体と魂を切り離すような感じ。あの辛い状況を生き抜いていくには、それしかなかった。

今回の人生を「自分というキャラクターを理想の男に近づけるゲーム」だと思って生きていくことにした。

父親のことを最高の反面教師やと思って、この人よりもいい人間になれたら 世界の最悪より二番目くらいにはなるだろう、って。

 

社交性がないから高校デビュー

中学2年生のとき 自分が目指すべき「理想の男」を100個 書き出した。そして、それを一個ずつクリアしていくことにした。

その中で 会社経営の夢が出てきた。父親も会社をやっていたから、父親よりもいい会社を作ろう、と。安定していて、家族を犠牲にせず、家族を守っていけるような、成長していけるそんな会社。

 

そのために「高校デビュー」が必要になった。

というのも当時自分は 人前でしゃべることなんて到底できない引っ込み思案の陰キャだった。「いや、陰キャの社長ってヤバいやん」と思って、社交性を克服するために高校デビューをした。

理数特進クラスでこれ 笑

 

無事、高校3年間で「社交性」というスキルを手に入れて、自分というキャラクターのレベル上げに成功。

次に足りないものはなんだろう?と考えた時に浮かんだのは「独創性」だった。

なぜなら 当時の自分は こう考えていたから。

潰れない会社には 「誰にも真似できない自分だけのビジネスモデル」が必要で、それには “独創性” が鍵になる、と。

 

だから、次は 美大に進学することにした。

 

独創性がないから美大進学

 

美大では4つの目標を立てて入学した。

大学でなんでもいいので1番になる。 自分のセンスに自信をもてるようになりたかったから。

在学中に作品を売る。 作家として生きていく可能性を探りたかったから。

他の学部の人とビジネスを立ち上げる。 リーダーシップやお金について学ぶため。

4年間髪を切らない。 当時4年間も継続して何かを成し遂げたことがなかったので、持続力を養えるかな、と。

 

結果

大学でなんでもいいので1番になる。 
→ 学祭のメインイベントで優勝した。でも狙っていたセンス部門では1位にはなれなかった。というか、センスで大切なのは「順位を争うこと」ではなく「自分の感覚を研ぎ澄まし、自信を持つこと」だった。

在学中に作品を売る
→ 卒業制作展でキャプションに値段を書いてみたが売れなかった。そもそも、彫刻は発表するまでに膨大な時間が必要で、良いものを作るには4年では時間が足りなかった。作品が売れなかったので、作家として生きていく道は ここでなくなる。

他の学部の人とビジネスを立ち上げる
→ デザイン学部と服飾専門学校生とアパレルブランドを立ち上げて、ダンスサークルの衣装にしてもらったり、タオルを後輩に買ってもらったり。 けれど、自分の能力が足りなさすぎてダメにしてしまった。

4年間髪を切らない
→ 天然パーマがすごすぎて地毛アフロから寝癖ドレッドになっていた。3回生の時にお酒で失敗し、ボウズにして謝罪した。臭かったので髪を切れてよかった。

 

 

自分なりに成果は出した。けれど大学生活の4年間で 独創的なアイデアが浮かぶことは なかった。

今のままでは「誰にも真似できない会社」は作れない。

 

卒業後の進路に迷った。
迷った挙句、当時調子のよかった音楽を1年限定でやることにした。

というのも 大学で彫刻を学ぶ傍ら、表現力を磨くため夜間のDJスクールにも通っていた。 彫刻は時間がかかるけれど、音楽はレスポンスの良い即興パフォーマンスとして自分の肌にあっていた。

 

当時流行っていたポップなラップグループのDJとして全国ツアーをしたり、有名アーティストの前座をしたり、西野カナの初期プロデューサーに声をかけてもらったり、CDをタワレコにおいてもらったり……

 

でも、将来性がなくて やめた。

 

「この先 どうしようか」
残ったのは、たこ焼き屋のバイトだけ。

 

悩んだ末、中国へ行くことにした。自分をもう一段階 上のステージにあげるため。

「中国に1人で行けば、やるしかないってなるだろう」そう思って、ちょっと無理して行くことにした。

 

競争心がないから中国でビジネス

中国は 「のびた鼻を折る、挫折を知る」が目標だった。

当時自分は 世の中を舐めていた。まぁ親から小遣いを10万も貰っているやつは そうなるやんか。

舐めてる自分を変えようと思って、あと お金の勉強と社会勉強をしようと思って中国へ向かった。

 

ビジネスとして選んだのは、たこ焼き屋。

理由は、コンパクトなビジネスモデルだと思ったから。

商品作りというか、メーカーをしながら 営業もして、マネジメントもできる。

たこ焼き屋を一生やりたかったわけじゃなくて、今まで磨いてきた社交性や表現力が どこまで通用するのか、今の段階で自分は 何ができて何ができないのかを知りたかった。

 

ちなみに、中国を選んだのは、アジアを旅行してみて、一番お金が汗臭かったから。

 

あと 自分には競争心が足りないな、とも思っていて。

ビジネスして人を雇うんだったら、その人の生活を守らないと行けない。そのためには、他人を押しのけてでも進まなきゃいけない時もある。

でも、その時の自分には、他人を押しのけて一歩前に出る図々しさが足りなかった。

最終的に上海万博の出店権利を獲得

 

結果、ボッキボキに鼻が折れて、あと めちゃくちゃ大声になって帰ってきた。

日本に帰ってきて、地下鉄のホームで端から端まで届くような声で喋ってたら「うるさい」って怒られた。すぐ治ったけど。

それまで人の目線を気にしすぎていた。中国でそれがなくなって「生きにくい人生」が「生きやすい人生」になった。

 

中国に行って痛感したことは、ひとりでは生きていけないということ。いろんな人に迷惑をかけて、いろんな人に助けてもらった。仲悪かった父親に泣きながら電話した日もあった。

 

もう一つ、学んだのはビジネスで大切なことは何か。

それは

・好きなことじゃないと続かない
・情熱を持てないと挫けてしまう
・あなたは何ができるんですか?の質問に即答できないと、価値がない

ということ。

 

じゃぁ、俺の好きなことって?

日本に帰ってきてからは、人生の挫折期間だった。どうやら燃え尽きてしまったらしい。

「俺は一体何がしたいんだろう?」

2〜3ヶ月、家から出られなくなった。ボーッとしてみたり、本を読んでみたり。

そんな中、友人にトータス松本のライブに誘われて行って、こんな言葉に出逢った。

 

「夢なんて漠然としてるもんや。なんとなくそっちの方向に向かって歩き続けてたら明確になっていって、その先が見えてくる。

俺はただ人気者になりたくて、気がついたらここでライブをしている。

初めから明確な夢を持っている人なんていない」

 

これを聞いて、もう一回 諦めずに追いかけよう、進んでみよう、と思えた。

 

そうして 今のリペアという仕事に出会って、それがめちゃくちゃ自分にあっていて、天職で、楽しくて。

気づけば、会社は5期目に突入した。

 

振り返れば 今までの人生、選択肢があると「どっちが成長できるのか」を基準に選んできた。

10代は、足りないものを補うゲーム。20代は、反対を選択するゲーム。世界を広げるために、より難しい方を選んできた。

 

 

今までの人生、全然関係のないことをやってきた。

かなり不安だったし、同窓会には行きたくなかった。嫉妬心が抑えきれなくて。

 

けれども 30代になって、

全然関係ないことでも3つ極めれば自分にしかできない仕事が見つかる

という言葉を聞いて、自分の通ってきた道は間違いじゃなかったと思えるようになった。

自分にはまだ トータス松本のような そんな影響力はないけれど、新卒採用をしている中で 迷っている人に出会う機会が最近増えてきて、少しでも誰かの希望になれるなら、と思っている。

 

 

しんどいことの方が多い人生だったけれど、そんな自分の人生でも、誰かの役に立つのかもしれない。 奨学金という手段を通して、そんなチャンスを作ってくれた 應武に 感謝している。また火鍋おごるわ。

(應武も現在、第6回目の受給者を募集中。重複応募OKらしいので、よければ こちらもぜひ)

 

●宮本敬吾奨学金 受給のメリット

 

①生きているだけで毎月1万円のお金が入ってくる

②人生に悩んだら、いつでも電話で相談できる

③ひもじくて、どうしようもなくなったら最悪ご飯に連れてってもらえる

大阪のオフィスにも遊びに来てください


 

●応募資格

応募資格は特になし。年齢、性別、職業、収入不問。

こんな人はぜひ

・自分の人生これでいいのかと悩んでいる
・自分が何をしたいのか 何をすべきなのか見えていない
・挑戦したいことはあるけれど勇気がない
・自分を変えたいと思ってるけど変われない
・他人から見れば成功しているが、自分の中身が満たされていない感じがする

2022年1月に父になりました

●応募締切および発表予定


締切 : 2023年4月30日(日)
発表 : 2022年5月中予定

定員:3〜6名

●応募方法

フォームにて 以下の質問に回答してください。

質問:人生の悩みを教えてください

 

自分が苦しいとき、悩みをきいてくれる人が近くにほしかった。

 

自分はヒーロータイプだから、しんどい人がいたら ほっとけない。

おせっかい、ということですね。要は。応募お待ちしております。


 

 

 

 

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